おさか菜の日記

適応障害,不安症を抜け必死に生きる限界看護学生のブログ→ゆるくいくことにした→自然体(?)を取り戻したっぽい。まいにちたのしい

保育園でのお仕事

 

保育補助のアルバイトをはじめてから1ヶ月になる。少し慣れてきたので、1ヶ月目の感想を書いておこうと思う。

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私は幼稚園だったので、保育園とはどんなところかよく知らなかった。文科省厚労省かという違いを教わったけれど、確かに、幼稚園は学校っぽくて保育園は生活の場という感じだ。

例えば、私の通っていた幼稚園は制服だったが、今お世話になっている保育園は私服。お昼寝をするし、おやつも食べる。授業のような、みんなで椅子に座って先生の話を聞いたり工作をしたりする時間はどちらにもあるが、保育園の方が短い。

私は今まで、保育園とはママが仕事で忙しい子が通うなんだか寂しいところだというイメージがあった。しかしそれは完全に思い違いで、寝かしつけがあったり過ごす時間が長かったりする分、保育士さんと園児さんの方が距離が近いように見受けられるのだった。

 

私のシフトが午後で固定なのでその時間帯のことしかわからないが、どの年齢のクラスも昼には昼ごはんを食べ、お昼寝をし、おやつを食べ、帰りの会が始まる。大人になると当たり前に通り過ぎていく生活行動も、地球暮らし0〜5年目の園児さん方はひとつひとつ一生懸命行っていく。

生活の中にどんな援助があるかというと、眠りやすくするのにトントンする(もちろんひとりで眠れる人もいるが)、用を足すのにトイレットペーパーをちぎるなどがある。難しいのは、脱いだ服を裏返すところは援助する(私が行う)が、畳むのは本人であり、自分でできるところは自分でやるように促す必要があること。そして、その段階はひとりひとり違うことである。困ってしまうのは、本当はできるけどやりたくないとき、やってもらいたいとぐするときで、私もどうしたら良いかわからなくなる( ˘ω˘ )

眠い、(寂しい)甘えたい、遊びたいなど本人の気持ちに、いつでも寄り添えるわけではない。他に仕事を頼まれていることが多いが、疲れていて柔軟な対応ができないときもある。

 

他に頼まれる仕事とは環境整備の色々である。食前と食後にテーブルを拭き、床の食べこぼしを掃いて消毒液で雑巾掛けをする。ベッドの用意•片付けもまたいい運動になる。季節ごとの可愛らしい飾りは、保育士さんが画用紙を切り、園児さんがそこに絵を描いて完成する。先日私はその手伝いをしたが、時間に追われ黙々と無心で切っていたときには味気なかった画用紙も、園児さんが彩り壁に並べれば、壮麗で愛らしく見えてくる。今度画用紙を切るときは、もう少し楽しい気持ちでできそうだ笑

 

保育園で働く前、私は子どもが好きでも嫌いでもなかった。どちらかというと苦手だった。身近にいなかったのもあるが、たまに目につくのは外出先で騒いでしまう子であり、心に余裕のなかった私は鬱陶しいとしか思わなかった。

働きはじめると、可愛いところもあるかもしれない(可愛い)と思えるようになった。園児さんは小さく柔らかい心と体をもち、素直でわかりやすく、守ってあげたくなった。

今慣れてきてどうかというと、可愛がる気持ち以上に、緊張感が伴うようになった。小さく柔らかいということは、傷つきやすく目が離せないということ。素直でわかりやすいとは言ったが、それは大人に比べると感情をストレートに出すというだけで、感じているものは一人前で豊かなものだ。私はそれを尊重できているか?大人の都合を押しつけてはいないか?

 

注意深い観察、高い倫理観。どちらも看護においても重要な能力だ。私は今それらを養う機会を得ていて、大きなのびしろがある(というと前向きに聞こえるが、ただ至らないところが多く目につくということ)。それ故、肉体的な疲労から早くもギブアップしそうだったが、もう少し続ける必要がある。看護の実習が本格的に始まる前に、今よりは逞しい体と鋭く温かい目を養えたらいいと思う。