進級の春〜
どうしよう今いっこも悩み無い
ブログ始めて1年でそんな結論になっちゃっていいのか、シリーズ構成的にはド下手なんだけどまあしゃあない。
私だって別にそんなのいちいち気にして生きてる訳じゃあないんですけれども
今回のはすごかった
コーラック飲んだわけでもないのに宿便全部出たっていうか、う〜ん
電車の中だったんだけど、もうずっと涙が止まらないのですよ
帰りだったしどうにでもなれと思って流しっぱなしだったけど、マスクなんてびちゃびちゃ
さっきからなんか汚いぞ
えー、仕切り直して。
この2週間ずっと忙しく学生生活を送っていて、それは言わば3学年への関門のような期間でありまして。
入学から4年、入口にさえたどり着けずに過ごしていたのですが、今年やっとその科目の履修が許され奮闘しておりました。
始まるまでも延期や変更、他科目の再試験(赤点による)に追われ落ち着かない日々でした。
ただ、いざ始まってみるとあっという間に過ぎて行き(というのは言い過ぎか、それなりに大変だったしな)…というより、その日を生きるのに必死で振り返ることも見通すこともしなかったって感じか。駆け抜けたのね。
で、振り返る余裕ができたのが木曜金曜あたり。
今年は進級できそうだな
私朝起きて学校行けるんだ
あの子泣いてたな
私も泣きそうだったな
感情って出していいんだ
疲れたら疲れた顔していいんだ。
打たれ弱くなくなったな
私こんなに人に素直に優しくできたっけ
エゴグラムの偏りなくなってるんじゃない?
AやFPで自分を守る必要がなくなって
NPやFCを表現できてる。
いつからいじけていたんだろう
いつから強がってトゲトゲカクカクしてた?
生身で関わるってこういうことか。
そうか、今まで壁(盾)の内側にいたんだな
それごと素だと思ってた
“自然体”ってピンとこなかったけどこれか( ´_ゝ`)
長かったな
終わったんだ
智に働いて角立てて、情に棹さして流されて、意地を通せる強さもなかった。
それがようやく調和が取れるようになった。内側とも、外側とも。
内側でどれだけ対立があっても、ひとつ決めて外に表現しなければならないとき、言動に顕さねばならないとき、負けた方は切り捨てていたようだ。ずいぶん長いことそうしてきて、切り捨てていることを忘れていた。今まで片足の感覚だけで歩いてきたようなものか。そりゃ転ぶし起き上がれないわ(´ー`)
え?これを自我同一性の確立って言うの?誰か教えて(←自分で勉強しませう)
エリクソンの言う青年期の発達課題ってことは聞いたよ。
ただ私の感覚としては、これまでの、特にこの数年間の、どちらかというとつらく悲しかった出来事がみんな報われるような…伏線回収されて意味をもつようになるような、羽根になって散り散りになった心が再び統合されたような…感覚。(どこのサクラよ。玖楼国かな、写身だったってこと?自分で言っといてややこしくなってきた。やめよう。)
で、過去(の解釈)が整理された結果、今いる場所もこれから向かおうとする場所もクリアに見える(CLAMPに引っ張られすぎ)ようになった。となるとやはり自我同一性ってことでいいんでしょうか。
私としては今回の件は他への波及がものすごくて一言ではしっくりきませんが。
ひとつは、反抗期。反抗というより拒絶、引きこもりという形で出ましたが、進級できないことによる負い目(乱暴に言えば穀潰しの罪悪感)が軽くなったこともあって終わった感じがします。心を開き、愛されていると認められる・受け入れられる。素直に(…とまではいかないかも笑)。あとは、実習着(ナース服)着るの嫌じゃなくなった。看護への苦手意識、拒否感が気づいたら抜けてたの。つきっきりで勉強見てくれたあの子には感謝しかない。ほんと。(後輩だったのに先輩になっちゃってるし笑)それと、楽しそうに看護するあの子がいたのも大きいわね。それと、お友達もたくさんできたの。ずっと苦手だった“同級生” “女子”。学科に友達がいたら話してみたいことはたくさんあったのだけれど、鎧(プライド)が邪魔して一人ハリネズミのジレンマに陥ってた。はい、解消です。新年度から学校が楽しみ。休学中の私が聞いても信じないだろうな笑
この2週間、もちろん学修のための期間ではあったけれど、結果だけ見ればセラピー?
ものすごい深さで浄化された気がする。
電車の中で瑠璃色の地球を聞いてたんだけど、「夜明けの来ない夜はない」って最初に盛大に心折れたときに敬愛する先生からかけてもらった言葉。この2週間行きは朝焼けが見られるくらい早かったから、尚更沁みた。この曲すごく魚座っぽいよね。(魚かどちらかというと海王星?に思うけど話が逸れるので今回は引用なしで。)
その後も何曲か松田聖子聴いたよ。松田聖子さん太陽魚座らしいのね、何か共鳴するのかしらね。中森明菜の方が曲数知ってるんだけど、今じゃあないなって。どちらかが聴きたくなるときもう一方は全然響かなくなるのは宇多田ヒカルと椎名林檎もそう。え?わかる?笑 聖俗と自然•あるがまま↔︎作為の軸をなんとなく感じているよ。どっちも必要。行ったり来たり目がまわりだすと平沢進聴き始める。
あらやだ2,000字超えちゃった
帰って夕飯作んなきゃ
春休み何して過ごそっかな♪(´ε` )