今日から休み
実習が一旦落ち着いた。ついこの前10月に入ったばかりのはずなのに、なんかもう終わろうとしてる。週明けにはお給料入るじゃん、てことは月末じゃん。
今日金曜日で夕方に提出物出してスケジュール的には一旦落ち着いたのだが、内心全く落ち着かずにいた。終わった〜とかも、ない。終わった、、?のか?とりあえずしばらく休み?実習のない日に何して過ごしてたかちょっともう思い出せないぞ??実習中は休みにはあれしようこれしようって色々思い浮かぶのに、いざ休みに入るとひとつも浮かばない不思議。
前々から予定に入れていたレジャー(美術館)には行くつもりなんだけど、実習中に何考えてたかすら思い出せない。まあいいかその程度のことだったのでしょう。というか実習中も読みたい本は読んでたし行きたいカフェにも行ってるからそれで満足してたっちゃそうか。
え〜と、で、なんでこんな5ヶ月ぶりに書いてるかというと、休みなのに休まらない脳みそが刺激を寄越せ、表出させろと迫ってくるために仕方なくこうしてタイプするという…久しぶりだな、いや、ブログの更新がじゃなくて、書き出してどうにかしたいってのが。ブログはおろか日記も最近書いてなくて、処理しきれないような場面があんまりなかったのよなあ。前期も普通に講義受けて宿題やってバイト行ってご飯作って風呂入って寝る、夏休みもめちゃくちゃアクティブに遊んでシフト入れまくってギリギリに宿題やって実習に突入して気づいたら今。内省する機会自体減ったかもわからんわ。ただ本は読んでて、文章との対話はあったからそれが内省的だったっちゃそうなんだけど、その、社会生活に支障がない程度には精神的に安定しちゃってて書き出す必要なく過ごしてたんだな。快挙快挙。
2年ダブってるから実習行くと新卒の元同級生見かけたりするけど別に落ち込まないよ。素直に嬉しい。覚えててくれてることに 半分驚きもある。まあ問題児だったしな。今もそうか。お仕事してる同級生は、やっぱりかっこいいよ。看護に限らずだけども、大人になってんなあって思う。
あー何の話題でもないわ。レポートにせよカンファレンス(情報共有と議論)にせよ、テーマに沿って述べよってあれ意味あるんだな。テーマがあるから、混沌とした内的世界から意味あるものを形にして取り出せるんだな。前期に授業で聞いた、「この部屋に何がありますか?って聞かれても『えっ…』てなるが、この部屋に赤いものは何がありますか?って聞かれたら答えられる。」みたいな。あれ観察の話だったかな。ただまあテーマがあっても私は勝手に自分の気になったことを話し始めるので困る。ごめんねグループのみんな…いやここで言っても仕方ないんだが。
久しぶりだったから自由に書いてみたが、次はテーマを先に決めちゃった方がよりよいものが書けそうだ。…ん?いや別によりよいものを書くことなくね?ちょっとたまにしかブログ書かなくなってるせいで当初の目的とか全く覚えてないや。ああ、日記か。どうせ書くなら公開しちゃえって思ったんだよな確か。思春期に好きな男の子に日記読まれて狭く深く心を抉られるよりは、不特定多数に公開しつつも誰に何を読まれてるかすら把握してないくらいの自己開示の方が健全だと思ったんだよ、当時。書くことで整理して落ち着きを取り戻したいのもあったけど、うまく納得いくように書けないと逆にストレスになるってので続かなかったし。宿題と一緒だな。今の私なら2行でも書いてれば出すし。いや出さないよりましっしょ。内容ペラペラでも埋まってればよし。図太くなったものよ。こだわりたい自分も理解しつつ、興味を持てないことにやる気が出ない自分も認めつつ、社会にスレスレで適応しつつ、折り合いをつける(急におじさんぽい発想でてきた。老け込むな私)。
いや、だからと言って今度こそ習慣的に更新するようにしようって訳じゃないよ?なんでもすぐ自分に課す発想になるの、癖ですかね。できない約束いくつも取り付けてたら信用されなくなっちゃうじゃんね、自分にさ。あ〜でもまた近々書きたくなりそうだな。
進級の春〜
どうしよう今いっこも悩み無い
ブログ始めて1年でそんな結論になっちゃっていいのか、シリーズ構成的にはド下手なんだけどまあしゃあない。
私だって別にそんなのいちいち気にして生きてる訳じゃあないんですけれども
今回のはすごかった
コーラック飲んだわけでもないのに宿便全部出たっていうか、う〜ん
電車の中だったんだけど、もうずっと涙が止まらないのですよ
帰りだったしどうにでもなれと思って流しっぱなしだったけど、マスクなんてびちゃびちゃ
さっきからなんか汚いぞ
えー、仕切り直して。
この2週間ずっと忙しく学生生活を送っていて、それは言わば3学年への関門のような期間でありまして。
入学から4年、入口にさえたどり着けずに過ごしていたのですが、今年やっとその科目の履修が許され奮闘しておりました。
始まるまでも延期や変更、他科目の再試験(赤点による)に追われ落ち着かない日々でした。
ただ、いざ始まってみるとあっという間に過ぎて行き(というのは言い過ぎか、それなりに大変だったしな)…というより、その日を生きるのに必死で振り返ることも見通すこともしなかったって感じか。駆け抜けたのね。
で、振り返る余裕ができたのが木曜金曜あたり。
今年は進級できそうだな
私朝起きて学校行けるんだ
あの子泣いてたな
私も泣きそうだったな
感情って出していいんだ
疲れたら疲れた顔していいんだ。
打たれ弱くなくなったな
私こんなに人に素直に優しくできたっけ
エゴグラムの偏りなくなってるんじゃない?
AやFPで自分を守る必要がなくなって
NPやFCを表現できてる。
いつからいじけていたんだろう
いつから強がってトゲトゲカクカクしてた?
生身で関わるってこういうことか。
そうか、今まで壁(盾)の内側にいたんだな
それごと素だと思ってた
“自然体”ってピンとこなかったけどこれか( ´_ゝ`)
長かったな
終わったんだ
智に働いて角立てて、情に棹さして流されて、意地を通せる強さもなかった。
それがようやく調和が取れるようになった。内側とも、外側とも。
内側でどれだけ対立があっても、ひとつ決めて外に表現しなければならないとき、言動に顕さねばならないとき、負けた方は切り捨てていたようだ。ずいぶん長いことそうしてきて、切り捨てていることを忘れていた。今まで片足の感覚だけで歩いてきたようなものか。そりゃ転ぶし起き上がれないわ(´ー`)
え?これを自我同一性の確立って言うの?誰か教えて(←自分で勉強しませう)
エリクソンの言う青年期の発達課題ってことは聞いたよ。
ただ私の感覚としては、これまでの、特にこの数年間の、どちらかというとつらく悲しかった出来事がみんな報われるような…伏線回収されて意味をもつようになるような、羽根になって散り散りになった心が再び統合されたような…感覚。(どこのサクラよ。玖楼国かな、写身だったってこと?自分で言っといてややこしくなってきた。やめよう。)
で、過去(の解釈)が整理された結果、今いる場所もこれから向かおうとする場所もクリアに見える(CLAMPに引っ張られすぎ)ようになった。となるとやはり自我同一性ってことでいいんでしょうか。
私としては今回の件は他への波及がものすごくて一言ではしっくりきませんが。
ひとつは、反抗期。反抗というより拒絶、引きこもりという形で出ましたが、進級できないことによる負い目(乱暴に言えば穀潰しの罪悪感)が軽くなったこともあって終わった感じがします。心を開き、愛されていると認められる・受け入れられる。素直に(…とまではいかないかも笑)。あとは、実習着(ナース服)着るの嫌じゃなくなった。看護への苦手意識、拒否感が気づいたら抜けてたの。つきっきりで勉強見てくれたあの子には感謝しかない。ほんと。(後輩だったのに先輩になっちゃってるし笑)それと、楽しそうに看護するあの子がいたのも大きいわね。それと、お友達もたくさんできたの。ずっと苦手だった“同級生” “女子”。学科に友達がいたら話してみたいことはたくさんあったのだけれど、鎧(プライド)が邪魔して一人ハリネズミのジレンマに陥ってた。はい、解消です。新年度から学校が楽しみ。休学中の私が聞いても信じないだろうな笑
この2週間、もちろん学修のための期間ではあったけれど、結果だけ見ればセラピー?
ものすごい深さで浄化された気がする。
電車の中で瑠璃色の地球を聞いてたんだけど、「夜明けの来ない夜はない」って最初に盛大に心折れたときに敬愛する先生からかけてもらった言葉。この2週間行きは朝焼けが見られるくらい早かったから、尚更沁みた。この曲すごく魚座っぽいよね。(魚かどちらかというと海王星?に思うけど話が逸れるので今回は引用なしで。)
その後も何曲か松田聖子聴いたよ。松田聖子さん太陽魚座らしいのね、何か共鳴するのかしらね。中森明菜の方が曲数知ってるんだけど、今じゃあないなって。どちらかが聴きたくなるときもう一方は全然響かなくなるのは宇多田ヒカルと椎名林檎もそう。え?わかる?笑 聖俗と自然•あるがまま↔︎作為の軸をなんとなく感じているよ。どっちも必要。行ったり来たり目がまわりだすと平沢進聴き始める。
あらやだ2,000字超えちゃった
帰って夕飯作んなきゃ
春休み何して過ごそっかな♪(´ε` )
骨格/顔タイプ/PC診断
パーソナルカラー診断を受けてきました。
・結果はサマー。明るくてくすんだ色が得意。(青み寄りだけど、ビビッドなものや暗い色を避ければ黄み色でも大丈夫。だから2ndはオータム。)
・骨格はストレート
・顔タイプはソフトエレガント(上品なもの、繊細なものが得意で、華やかなものは顔が負けてしまう。カジュアルなものがだらしなく見えてしまう。制服は大得意。)
超わかる。
自己診断と同じ結果になり安心しました。
以前は苦痛だった服選びも、まあまあ楽しめるようになった…かな?
というのも…
小学校中学年頃から容姿に劣等感を持っていて、お洒落するなんて恥ずかしい。私が着飾ったってみっともないと心のどこかで感じていたようです。ダサいのも恥ずかしいけど、着飾るのも苦痛。今はゆるんで楽になった部分をこうして追想してみると、我ながらよくこれで生きていたなと思えてなりません。
私が着られるのはせいぜいこんな服だ、と飾りっ気のないシャツかトレーナーばかり着ていた気がします。大学入学をきっかけに無理して買うまでの間、何年もスカートは持っていませんでした。
(そう言えば過去記事がありました。)
自信を失くしたのは、あるいは劣等感を抱くきっかけになったのは、ファッションチェックが厳しく批判的だった当時の友人たちとの会話でしょうか。女の子らしい服を勧めて、私の着たかったシンプルで少しボーイッシュな服には難色を示した母との買い物でしょうか。なんにせよ、周囲の評価が自分の好みよりずっと重く響いてしまうということだと思います。
それで今回、お金を払ってプロに自分のセンスを褒めてもらったら呪いが解けたかもしれないラッキーという話(゚∀゚)
えっ単純すぎない??
この記事書き始めたときにはこんな結論になるとは全く想像していなかったけれど、つまりそういうことじゃあないか…しっくりきてしまった。
いかん。これではまたひっくり返る可能性があるってことじゃあないか。
それまでの間に、自分の感性をガシッと捉えて掴んでおかねば。好き、心地いい、気に入っているという感覚を叩き込むと共に、その好い感じを自分で作れた成功体験を積んでおこう。それが多分本当に抜け出すには必要なこと。