おさか菜の日記

適応障害,不安症を抜け必死に生きる限界看護学生のブログ→ゆるくいくことにした→自然体(?)を取り戻したっぽい。まいにちたのしい

明日のことだけ考えよう(5/17 日記)

〜1日1記事チャレンジ18日目〜

将来のためにばかり生きすぎると生きるの辞めたくなるよねという話

f:id:osakana107:20210516233211j:image

 

中学3年生、高校受験を通して初めて自分の進路について自分で考えた。目先の楽しみを犠牲にしてでも、楽しい高校生活を送りたいと思っていた。

 

しかし高校に入ると、1年生の頃から大学受験について考えねばならなかった。2年生のクラス分けが既に、文系理系どちらに進学するかを前提としたものだったからだ。高校2年の記憶(思い出)ってあんまりないんだよな…なぜか。

 

高校3年はほとんどの期間、大学受験に怯えながらの学生生活だった。秋頃から体調面でも精神面でも不安定になっていて、人生で初めての不登校を経験した。ゴリゴリの理系クラスで女子は少な目だったが、その分誰とでも仲良くやっていた。クラスメイトと過ごすのは楽しかったが、大学受験が意識された授業はやはりそれなりに緊張感もあり、教室にいると不安で押しつぶされそうだった。だからよく保健室で過ごした。よく泣き、よく話したが、その場しのぎにしかならず、結局登校日数自体減っていった。それでも卒業したし、受験勉強らしいもの(過去問を解くとか)は怖くてろくにできなかったけれど、センター試験は解けたので浪人は免れた。

 

そうして大学に入学すると今度は進級ができない。大学生活というものへの適応に障害が出た。適応しようとする前に一度大学生活から離れて療養に専念しようとしたが、進級に足る自分をこさえるための時間と捉えると、休むことも楽しむことも難しかった。どちらにも苦痛が伴った。

 

今年はそれなりに適応できている(つもり)。大学生活に適応すると同時に、国家試験や就職を見据え始めた。今年度(2学年)のカリキュラムを終えると出題範囲的には国家試験のほとんどの問題は解けるらしいと授業で聞いた。そのつもりで今年度を過ごさねばならない。

 

来年は実習がある。実習に耐えうる肉体と精神を獲得するため、私は今日常生活に少し負荷をかけて暮らしている。

 

お弁当と夕飯を自炊するのは健康面と生活力の向上のため。保育園でのアルバイトは体力と対人援助職者(見習い)としてのマインドを養うため。毎日ブログを書くのは、実習中毎日看護記録を書く習慣と文章力を身につけるため。本来私が今最低限やらねばならないのは講義への出席と課題提出だけで、有難いことにお小遣い以上のお金を稼ぐ必要もない。

 

それでも、この日常をこなせる自分で在れないと不安で仕方がない。かと言って、バランスを崩すと全てが無意味で無価値なものに見えてくる。学生生活にとどまらず、その日の食事や睡眠さえ滞る。無言無表情で虚空を見つめ、屍のようになる。将来のためにばかり生きすぎると、今生きるのも嫌になるということだろうか。

 

目先の快ばかり貪っても、飽きてしまう。幸せも絶頂を超えると、失う不安感の方が大きくなってしまう。日々をただ楽に楽しく生きるだけでは、満たされないものがある。休学中にわかったことだが、どうやら私は後先考えず今を楽しく生きるのには向いていないらしい。これまでとこれからについて思い巡らすことをやめられないのなら、せめて少しでも前向きに利用しようじゃないか。マインドフルネスも大事だけどさ。

 

 

 

日曜が終わり、また月曜が始まる。今週はただ無事に過ごすだけでなく、平穏に過ごしたい。先週の平日後半はなかなか不穏だったから笑 長期スパンで眺めると苦しいから、今日乗り切ることだけ考えよう。まずは明日、お弁当と保育園と出席課題と家庭教師して夕飯食べてお風呂入ってブログ書いて寝よう。

 

23時過ぎまで何にもネタが浮かばなかったけれど、今日もブログ書けた。よし寝よう。おやすみ