おさか菜の日記

適応障害,不安症を抜け必死に生きる限界看護学生のブログ→ゆるくいくことにした→自然体(?)を取り戻したっぽい。まいにちたのしい

家族の愛し方 (5/9 日記)

〜1日1記事チャレンジ11日目〜

母の日おめでとう

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今日は母の日だったので実家に帰りました。母と仏壇の祖母にお花を買い、部屋と仏壇の掃除をしました。ほんの数時間の滞在ではありましたが、喜んで貰えたので良かったです。

 

実家暮らしのはずの大学生がなぜ家に居ないかというと、家で暮らしていると学生生活をする気力や足りなくなってしまうからです。適応障害から立ち直るために(…というと他人事のように感じてしまいますが)、学生生活に適応するために私は日常生活の場を選ばせてもらったのです。それは言うなれば愛と信頼の結果です。今日はそれを痛いほど実感した1日でした。

 

私の日常は、12個上のダーリンとの同棲生活です。いくつかの過去記事でお話していますが、彼とは1年弱前にマッチングアプリで知り合い、昨年の秋から半同棲しています。木みたいな人です。色々省きますが、私は彼の木みたいなところが好きで、21年生きてきて初めて見つけた裏表のない安心できる人であります。

 

のほほんと生きていくには少し臆病な私は、基本的に常に人の顔色(機嫌や気分)を伺って人と接しています。オート機能なので残念ながらオフにはできません。相手との間柄や状況に関わらず見ていて、影響を受けることもしばしば。どれだけ長く親密な付き合いの相手であっても、丸一日一緒に過ごすと気疲れします。家族も例外ではありません。私は家族を愛していていますが、それとこれとは別の話。

 

先ほど‘初めて見つけた裏表のない人’という言い方をしましたが、少し語弊があります。これまで出会った人全てに裏と表があるように見えていたというわけではありません。二面性ではなく、相手の内側とその外側。多くの人は、ATフィールド(心の壁)をその人自身で認識していて、話していると「ここから先は私の内面です。プライベートONLY」というラインが見えてくるのですが、たまに全くない人がいます。ものすごく率直、正直、素直という印象で、その才能を持っている人は外向型/内向型関係なくいるように思います。これそのものを表現することは私の語彙力ではとても難しいのですが、貴族や社交界で求められるようなお行儀の良さとは対照にある態度と言えばイメージしやすいでしょうか。

 

脱線してしまいました。えーと、木みたいな人と暮らすことで、私は今まともに学生生活を送ることができているという話でした。嫁入り前の学生が、一回り年上の社会人男性と暮らすことをよく思わない人もいるでしょう。今でこそ認めてくれている両親も、初めは戸惑いがあったに違いありません。しかし、何度も何度も対話を繰り返し、母は「相手の男性がどんな人かは、その人と付き合うことであなたがどう変わるかを見ればわかる。あなたなら判断できる。今まで育ててきたんだし、何よりママの子だもん笑」として、私を信じてくれました。父にはどう納得してもらえば良いのか…学業で結果を出すことだけでしょうか。私と父とでは意味を見出すものや価値観が大きく異なるので難航しています。また、父にはどうやら言葉より行動の方が伝わりやすいようで、そこがまた時間を要する理由でもあります。それでも今父も母も私の選択を認めてくれているのは、少しでも私の意思が伝わったからであると思いたい。

 

繰り返しになりますが、私は家族を愛しています。家族と暮らすとそれだけで消耗していってしまいますが、それは私が家族を嫌いだとか苦手だからではありません。適応障害や致死量ギリギリの不安感を経験し、どん底にいた私はまず自分を幸せにする必要がありました。私が私を幸せにできて初めて、家族や恋人を幸せにできる様になると気づいてから、私は自己犠牲をやめました。私が我慢すれば、うまく立ち回れば良いと言う発想は捨て、自分の望みを実現することを優先したのです。その結果がこれです。…ここまで長かった割にごく単純な結論ですみません(⌒-⌒; )

 

長時間日常的に一緒にいることは現状では難しくても、大事な日は一緒に過ごす。お花と上機嫌な心をお土産にして。それが今私にできる家族への愛情表現であり、信頼への報いであり、感謝の表現の全てなのです。