おさか菜の日記

適応障害,不安症を抜け必死に生きる限界看護学生のブログ→ゆるくいくことにした→自然体(?)を取り戻したっぽい。まいにちたのしい

5/6 今日の日記

〜1日1記事チャレンジ8日目〜

カウンセリングの日でした

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実家から歩ける距離の神社に出向き、日陰のベンチでカウンセリングを受けました。

とは言えzoom通話なので、のんびりした感じ。

 

前回は学年末の定期考査後のタイミングだったので、1月末。カウンセリングを受け始めた1年前は毎週予約を入れてもらっていたのに比べると、間隔が空いてきています。これはそれだけ先に予約を取っても、その頃までまともに学生生活を送っている自信の現れですね。一ヶ月以上空くようになってからというもの、その間にどんな変化があったかや、何がどのくらい大丈夫になったかなどの報告がメインになっていきました。もともと具体的な悩みがあった訳でもないので、当然の流れではあるのでしょうが…困りごとや悩み事の相談ではなく、振り返りとフィードバックのための時間としているということです。

 

相手はプロなので、わーっと話します。わかりやすくゆっくり話さなくても拾ってもらえるので、頭に浮かぶものをほぼそのまま言葉にします。ペンよりもキーボードよりも速いので、その分齟齬が減るんです。浮かぶ速さで言葉にしていくと私の中で取りこぼしが少なく済み、内側が整う。定期試験や長期休暇といった学生生活の節目ごとに整えておくことは、私にとって大きな意味があります。これまでとこれからの核を見据える大事な時間です。あっ、そうか。だから私はカウンセリングのとき神社に行きがちなのか。公園のこともあるけれど、神社率高いよな。これまで十数回受けてきて、何回が神社だったんだっけ…。御神木を眺めていると、悠久の時間とか感じる〜笑 御神木に時の流れと“今ここ”を感じて日暮かごめっぽいなと昼間思っていたから、今マミーはリビングで犬夜叉を観ているのかしら笑 給食がカレーだと夕飯もカレーになりがちだものね、あれと同じ現象だったりして。

 

神社の入り口にはお墓が並んでいて、随分ざっくりした宗教観だなあと思って見ていました。しかしよく見ると同じ姓のお墓ばかりでしたし、その姓は神社を建てた記念の石碑に名前のあった姓でもありました。石碑自体戦後直後のものであり、代々その地域に暮らしていた家の方々なのだろうと推察しました。神社とお墓と自治会館が同じ敷地内にあることについて、神道と仏教と見ると混ぜこぜでも、その土地に暮らす人々の長い長い暮らしを思うと意味のあるものに見えてきました。夏祭りも墓参りもして、公園でもある憩いの場なのですね。そんなに遠くもないのに、ちゃんと見たことなかったなあ。