占いとの距離感
「占いが好き!」
と大声では言えない。
何についてもそうなんだろうけども、
占いに対するイメージが色々であるように、
占いとの関わり方も色々で
相手が私にどんな印象を受けるか計算してからじゃないと、言えない( ˘ω˘ )
だからここで小さな声で言います。
占いすき!
私が占いにハマったのは高校生のときでした。
部活を辞め時間ができると毎日のように図書館に通い、占い関連の本を読む日々
西洋占星術とタロットについて読み漁りました。
自分に該当する項目を読んでは、確かに〜とか、そうかなあ?とか、色々思って楽しんでいました。
しかし、最も強く惹かれたのは星占いの“前提”。
すなわち、天体の配置と人の営みが一致するということ。
天体があらゆる“物事やその側面”を指し、
星座の神話がそれらの“性質”の象徴であり、
配置がそれらの“役割や連動”の象徴であるとみなして、解釈する(=星を読む)。
解釈は一通りではなく、読み手の人生観の豊かさが問われる。
私にとっての占いは、
暦や天文学と人の営みとの交点。
必然を感じさせてくれる神秘的なもの
本来主観的なテーマに“客観性”をもたらしてくれるツール。
だから、あなたはこういう人ですよね!とか他人に言われるのはちょっとちがう。
他人の人生に興味は無いし、自分の人生に色々言われんのも嫌だし、
いついつ結婚しますよ!2人の相性は〇〇です!とかも馴染まない。
人の視る世界は本人の認識次第で如何様にも変わるし、それは自己イメージもそう。
今ここから好きに構築していっていい。
今までの自分を解釈する(言い訳する)ためじゃなくて、これからの自分を使い切るためのヒントにしたい。
あくまで選ぶのは私。
…だと思ってるけど私が精神ズタボロで学生生活お休みしてた時期って、
私の心や幼い頃からの癖、安心感など(月)に、
破壊と再生の星(冥王星)が
生活やルーティンワーク、勤労(職業訓練)をなす場(6室)から
メンチ切ってた(オポジションだった)ところを見ると、なるようにしかならないのかしらん(´∀`)とも思う。
大学受験のときも、センター試験があまりに不出来で慌てて併願校を増やしたら、受験番号と面接時の部屋番号が縁のある(と私が感じられる)数字で、
「あ〜これはこっちに行くんだな」
と最初になんとなく思って、
なんやかんやあって結局そこに入学したもんな。
あんなに物理学科行きたがってたのに、急に看護学科行くなんて言い出して、本人もびっくりよ( ˘ω˘ )
入学してみたら、もともと第一志望だった大学とルーツが同じ(そう言えば名前も一字違い笑)だと知ってびっくりした。
だけどまあそんなもんよ( ˘ω˘ )
→何が言いたいかって、理論やモノ(カードや御神籤)がなくたって、感覚的に啓示を受けることは可能ということ。
占いとは、つかず離れずでいこうかな。