おさか菜の日記

適応障害,不安症を抜け必死に生きる限界看護学生のブログ→ゆるくいくことにした→自然体(?)を取り戻したっぽい。まいにちたのしい

法事の感覚

いつもより薄めの化粧をして、礼服を着た。

今日は祖父の一回忌だ。

朝早くに出発し、目的地付近で時間をつぶしている。

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もう1年経つのか。

1年…?

高校を出てから、1年の体感時間が年々短くなっていっていないか?

それはそうと、あの日からもう1年も経ったのかという感覚と、祖父がいなくなってからまだ1年しか経っていないという矛盾した感覚に、戸惑いを覚える。

長かったような短かったような…と言えば良いのだろうが、しっくりこない。

 

 

何泊も帰省して遊んでもらっていた小学生の頃には生身のひとりの人間だったが、高校大学と進むにつれその存在は観念的になっていった。

一緒に過ごす時間より、思い出す時間の割合の方が大きくなっていったということ。

私が受け取った祖父の愛情が私の成長に合わせて形を変えていったのだと解釈している。

小さい頃。お盆や正月に何日か共に暮らしては、焼きそばをつくり、手を繋いで公園へ行き、一緒に昼寝してくれた。

大きくなってから、自分の生い立ちや生涯を語って聞かせ、私の人生が豊かであるように願い、最期は、死にゆくヒトの姿を身をもって教えてくれた。

看護学校で練習した寝衣交換の技術、最初の本番は最期のじじだったんだよ。

死への想いや闘病生活のつらさを、私には正直に話してくれたね。

死を隣で経験させてくれてありがとう。

温かく生々しく澄んでいて強烈だった。

寄り添う胆力のある看護師になるからね。

 

 

“今ここ”にいる人間としてよりも、想いや願い、思い出の集合としての存在感の方が濃くなったことで、いるいないにこだわらなくなり、生死すらあまり重要ではなくなった。

もちろんたくさん泣いたさ、そりゃあね。

だけどその涙は悲しくて寂しくて出たものではひと粒だってない。

いつだって注がれた愛情のぬくさで滲み出たものだった。

あとは、亡くなった日の晩、親戚皆ひと通り泣き終え、さあ夕食にしよう場面で私はひとり号泣した。

ほんのりギクシャクしていた頃を覚えているから、ああして和気藹々と食卓を囲むことに感激してしまったのだが、完全に浮いてたな、ありゃあ笑

あれから最初の正月も、みんな集まってたんだよ。

私は嬉しいよ。

 

 

だからね、今日は法事だけども、今年2回目の正月か何かだと思っているよ。

みんなで集まってお喋りするんでしょう?

近況報告と、じじの思い出話をしに行くんだよね。

 

 

今日は本当にいい天気だなあ。

あの日もそうだったね、2つ隣の県から富士山が見えちゃうくらいの澄んだ快晴。

みんなで会いに行くからね。

さて、時間だ。