おさか菜の日記

適応障害,不安症を抜け必死に生きる限界看護学生のブログ→ゆるくいくことにした→自然体(?)を取り戻したっぽい。まいにちたのしい

のんびり大学生活〜私が適応障害と診断されるまで

私が「適応障害,不安症」と診断されるに至った経緯を話します。

 

高校3年生の頃、集中力の低下や漠然とした不安感が大きくなり、私どうしちゃったのかな…と思うようになりました。

受験勉強にも大きく影響が出たため、そこで初めて病院へ行く決心をしました。心の不調は体の不調と違って、なかなか気づきにくく認め難いものだなあと思います。

 

その後高校卒業、現役で看護系大学に入学し、

1年目 “ゆううつ”で学校に通うことが難しくなり秋から年度末まで休学

2年目 もう一度1年生として取り残した科目を履修

3年目 2年生に進級するものの“ゆううつ”が再び襲い、留年を決める

4年目  今年春からもう一度2年生として取り残した科目を履修予定

という経緯を辿りました。

 

 

“ゆううつ”とは、気分の落ち込みや不安感、焦燥感、思考が重く遅くなる、注意力、集中力の低下などを指す、私の造語です。

「うつ」という言葉ひとつでも、精神科の教科書で書かれる定義と、一般で聞くニュアンスは全く同じではありません。

私の主観的な体験をできるだけ誤解なく伝えたいので、診断名や症状のようには書かないことをお許しください。

 

 

私が診断を受けたのは大学1年目の秋、休学届と一緒に学校へ提出するため、病院の先生に診断書を出してもらったのでした。

そこで自分の診断名を知るわけです。

 

 

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今は通院ではなく、大学のカウンセリングを受けています。

 

今でこそ家族や恋人、友人と良好な関係を築けていますが、当時は誰にも心を開かず、甘えたり喧嘩したりできない、孤独で卑屈な人間でした(゚∀゚)

いちばん酷かったときは、生きていくことができない。(自分を)殺してしまいたいと思っていました。

 

 

病院へ行くまでの葛藤、休学した理由、私の“ゆううつ”がどういうもので、そこからどう立ち直っていったのかについて、「ゆううつ戦記」としてこれから続けて書いていきますね。