おさか菜の日記

適応障害,不安症を抜け必死に生きる限界看護学生のブログ→ゆるくいくことにした→自然体(?)を取り戻したっぽい。まいにちたのしい

襦袢を自作する話

普段着として着物で暮らしていきたい。

まずはお出かけ着として一式揃えてみよう

 

ダーリンが自分も着て一緒に歩きたいと言ってくれたので、着物やさん巡りをすることに。

背が高いとなかなかリサイクルでは探しにくい…

かといって全部新品で揃えるととんでもない額になってしまう。

初めてだしお手頃に揃えたい。

襦袢ぐらいなら自力で仕立てられるのでは…?という淡い期待を抱いて、いざ布屋さんへ(*´∀`)♪

 

こちら日暮里の繊維街

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トマトで探しました。

うん、着心地が良さそう。

1m100円!!

これなら練習で使うのに気後しないぞ(*゚▽゚)ノ

おまけしてもらって6m580円でした

 

裁断してアイロンしてそれっぽく並べてみる。

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大きめに切って自己流でじゃんじゃん縫います。

真っ直ぐならいいよね🙆‍♂️

くける、きせをかけるとか色々読んだけど、着られりゃ良いかなまずは。

上から着物着ちゃうしさ。

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あ、思ったより良い〜(自画自賛

 

縫った感想として、そんなに難しくないなというのと、力布はあった方がいい(よくわからずすっ飛ばしてしまった)。

縫う段階が一番無心で、体感時間が長かった。

寸法決めは頭使ったな…一応浴衣の本にあるものを参考にはしたけれども。

反物じゃなくて幅110cmの布を使ったから、背縫いはしていない。端切れの少なくなるように配置すると、私の半襟とうそつき袖の分も取れた。

裁断はもっと適当にザクザクいって良さげ。

アイロンがけのときに完成形が見えるって感じ。

 

着るものを生地の段階で見ていたときは、薄くない?ちゃんと着られるものになるの?と思っていたけれど全然問題なし。

なんなら厚みを感じるくらい。

次回の生地選びの参考にしよ。

菜虫化蝶

3/15からの七十二候は菜虫化蝶。

知ってか知らずか、この日に生まれた私に父は名前に「菜」と入れてくれた。

そして太陽星座が魚座で、魚が好物だから“おさか菜”

結構気に入っている。

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今日まで10記事書いた。

結構気に入っている笑

自分の思考や想いをパッケージ化して外部に整理する。それが今ブログを書く動機。

始める前はアフィリエイトやnoteの有料記事なんかも視野に入れていたけど、今はまずとにかく書くことしか考えていない。

紙の手帳に日記を書くとあとから読み返しにくいけど、ブログはカテゴリに分けられるのが便利。

書くにしても、その日その日で分断されず、ページの余白を気にすることなく一つのテーマを掘り下げられるところが、今の自分には合っているように思う。

 

ある程度書き切ったらWordPressに移したいな

まずは自分のしこう(思考,嗜好,志向)を捉えてから、みてくれ(デザイン)を設計していくのがやりやすいんじゃないかと思う。

あとは、今ITパスポートの勉強をしていて、そのアウトプットにするのも良さそうじゃない?

 

お誕生日おめでとう、わたし

法事の感覚

いつもより薄めの化粧をして、礼服を着た。

今日は祖父の一回忌だ。

朝早くに出発し、目的地付近で時間をつぶしている。

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もう1年経つのか。

1年…?

高校を出てから、1年の体感時間が年々短くなっていっていないか?

それはそうと、あの日からもう1年も経ったのかという感覚と、祖父がいなくなってからまだ1年しか経っていないという矛盾した感覚に、戸惑いを覚える。

長かったような短かったような…と言えば良いのだろうが、しっくりこない。

 

 

何泊も帰省して遊んでもらっていた小学生の頃には生身のひとりの人間だったが、高校大学と進むにつれその存在は観念的になっていった。

一緒に過ごす時間より、思い出す時間の割合の方が大きくなっていったということ。

私が受け取った祖父の愛情が私の成長に合わせて形を変えていったのだと解釈している。

小さい頃。お盆や正月に何日か共に暮らしては、焼きそばをつくり、手を繋いで公園へ行き、一緒に昼寝してくれた。

大きくなってから、自分の生い立ちや生涯を語って聞かせ、私の人生が豊かであるように願い、最期は、死にゆくヒトの姿を身をもって教えてくれた。

看護学校で練習した寝衣交換の技術、最初の本番は最期のじじだったんだよ。

死への想いや闘病生活のつらさを、私には正直に話してくれたね。

死を隣で経験させてくれてありがとう。

温かく生々しく澄んでいて強烈だった。

寄り添う胆力のある看護師になるからね。

 

 

“今ここ”にいる人間としてよりも、想いや願い、思い出の集合としての存在感の方が濃くなったことで、いるいないにこだわらなくなり、生死すらあまり重要ではなくなった。

もちろんたくさん泣いたさ、そりゃあね。

だけどその涙は悲しくて寂しくて出たものではひと粒だってない。

いつだって注がれた愛情のぬくさで滲み出たものだった。

あとは、亡くなった日の晩、親戚皆ひと通り泣き終え、さあ夕食にしよう場面で私はひとり号泣した。

ほんのりギクシャクしていた頃を覚えているから、ああして和気藹々と食卓を囲むことに感激してしまったのだが、完全に浮いてたな、ありゃあ笑

あれから最初の正月も、みんな集まってたんだよ。

私は嬉しいよ。

 

 

だからね、今日は法事だけども、今年2回目の正月か何かだと思っているよ。

みんなで集まってお喋りするんでしょう?

近況報告と、じじの思い出話をしに行くんだよね。

 

 

今日は本当にいい天気だなあ。

あの日もそうだったね、2つ隣の県から富士山が見えちゃうくらいの澄んだ快晴。

みんなで会いに行くからね。

さて、時間だ。